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8.162024
日本文学不朽の名作『敦煌』
皆様こんにちは!
中国の有名な観光地敦煌([Dūnhuáng])には、世界的歴史遺産「莫高窟([Mògāokū])」があります。
1900年にここで大量の文献が発見され、これにインスパイアされた作家井上靖が小説『敦煌』を書き上げます。
中国を舞台にした日本文学は数あれど、『敦煌』は正に不朽の名作。
その素晴らしい世界を今回は覗いてみましょう。
◆科挙の落第生と漢人部隊の隊長◆
主人公趙行徳(ちょうぎょうとく)は科挙に挑むも落第。
郷里にも帰れず途方にくれている中で、偶然に、西夏([Xīxià])の娘を救います。
そして西夏文字を知り、この新興国家に強く惹かれ、西域へと向かいます。
ところが、彼のキャラバンは軍隊の襲撃を受け、若い行徳は兵員とされるべく拉致されてしまいます。
折しも西域では、その覇権をめぐって戦争中で、行徳は西夏の漢人部隊に組み込まれていきます。
落ちぶれたとは言え、元は科挙を目指したエリート。
そんな才気溢れる行徳を、部隊長の朱王礼は重用し、二人はいつしか深い友情を結んでいきます。
◆ウイグルの王女をめぐる愛憎と悲劇◆
漢人部隊がウイグル王国のある城塞を攻略した際、行徳は逃げ遅れた王女をかくまい、そして愛します。
この重罪行為を知った部隊長王礼は行徳を守るため、彼を部隊から離し、留学生として西夏の都へ送ります。
憧れていた西夏の都で言葉や文化を学んだ行徳は、やがて三年という月日を経て遂に王礼と再会し、また、恋しい王女にも再会するはずでした。
しかし、そこに待っていたのは西夏王李元昊([LǐYuánhào])がもたらした悲劇―王女の死―でした。
その悲劇に接し、王礼はある決意を胸に秘めます。
彼もまた、行徳と同じく、その王女を愛したのでした。
そして、漢人部隊が要衝敦煌を占領したとき、王礼は万を期して、西夏王に対し反乱を起こします。
こうして趙行徳と朱王礼の愛憎をもはらみながら、敦煌の古文献へとつながる物語が綴られていくのです。
◆井上靖は敦煌に行っていない!?◆
小説『敦煌』が執筆されたのは1950年代。
執筆に情熱を燃やす井上でしたが、如何せん当時は日中間の国交がなかった時代で、現地考察などとてもできるものではありませんでした。
そこで井上は、敦煌学研究者として、特別に敦煌を訪れたことのある数少ない日本人である藤枝晃氏から話を聞き出そうと考えます。
ところが、律儀な研究者である藤枝は作家嫌いで、なかなか会ってはくれません。
それでもなお毎日家まで通い続けた井上には閉口し、遂に協力することになりました。
この時、彼は井上に「作家はデタラメばかり書く」と詰め寄ったが、井上は「作家には作家の真実がある」と応じたとか。
藤枝は、後に発表された小説『敦煌』を読んで、その井上の言葉を深く噛み締めたと言います。
さすがアンチの学者までも唸らせた名作ですね。
◆映画『敦煌』がただで見れる!?◆
さて、今回ご紹介した小説『敦煌』は映画化され、1984年に公開されています。
その映画が、なんとYouTubeにノーカット版がありました。
まだ若い西田敏行と佐藤浩市の体当たり演技も見物ですよ!
いつ削除されるか分からないので、気になる方は是非早めに見て下さいね!