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中国史上最強の弁論家とは?

 先日小島瑠璃子さんの中国留学の報に接して、とっさにキングダムを連想した人も多かったのではないでしょうか?
 まぁそれはさておき、キングダムの魅力と言えば怪物級の猛者たち。これはいかにも「戦国時代」っぽいのですが、実は意外にも実際の春秋戦国時代に大きく花開いたのは「弁論術」だったのです。
 お馴染み「合従(がっしょう)軍」の由来ともなった6ヶ国連合をなんと口先だけでやってのけた古代中国最強の弁論家とは?
 
● 王へのプレゼンは人生の一発逆転劇!
 アニメ・キングダムで有名になった合従軍による函谷関の戦い、その70年も前に、初めて6ヶ国による合従を成立させたのが、蘇秦(そしん)という人物でした。500年続いた中国の春秋戦国時代、その末期は秦を含む7ヶ国が最後の覇権を争った時代で、武力のイメージが強いですが、実は各国が生き残りのために、有能な政策担当者を取り合った文官登用の時代でもありました。
 我こそはと思わん者は盛んに各国で遊説を繰り返し、王に自分の策を取り入れてもらって、仕官しようとしていました。今で言うなら各社を回って社長にプレゼンするような感じですね。
 上手くいけば一文無しから一気に大臣へ、なんてこともありました。

● 散々ディスられてのやけっぱちアイデア?
 蘇秦は郷里で「口先だけの役立たず」と散々馬鹿にされますが、めげずになんと超大国秦に「連衡(れんこう)策」で仕官しようとします。
 これは、他国と争わず、7ヶ国で共存していく考えですが、蘇秦のプレゼンは秦王に響かず、あえなく不採用。
郷里の連中を見返すつもりが、親戚にまでつまはじきされる始末。
 そこで切羽詰まって思い付いたのが「合従」というアイデアで、6ヶ国で同盟して秦に対抗する策ですが、なんという変わり身の早さ!
 ところが、これには6ヶ国の王を説き伏せなければならず、秦への仕官に失敗した今、もはや彼を正気と見る人はいません。
 さて、蘇秦さんの汚名挽回はなるか?
● 土壇場で編み出した成語「鶏口牛後」
 周到な計算なのか、はたまた破れかぶれなのか、ともかく蘇秦は一命を賭して王たちにプレゼンを決行します。
その時に編み出したのが有名な成語「鶏口牛後」でした。日本では「鶏口となるも牛後となるなかれ」でお馴染みですよね。
 これを聞いた王たちはプライドと面子を掻き立てられます。こうして次々と蘇秦の策を採用し、なんとあろうことか、彼は6ヶ国の宰相を兼任するまでになります。こんな大出世、さぞ郷里は大喜びと思いきや、皆合わせる顔がないと居留守状態に、って、いや、一体どんだけ馬鹿にして来たんだろうね…。
 
 ところで、蘇秦が王たちを説得するのに多用した術はというと?なんとおべっかで褒めまくって、とどめに「鶏口牛後」だそうです。
 フムフム、皆さんも参考にして弁論術を磨いてみませんか?

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