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日本文学不朽の名作『敦煌』

写真出典:image.baidu.com

皆様こんにちは!

中国の有名な観光地🔗敦煌([Dūnhuáng])には、世界的歴史遺産「🔗莫高窟([Mògāokū])」があります。

1900年にここで大量の文献が発見され、これにインスパイアされた作家🔗井上靖が小説『敦煌』を書き上げます。

中国を舞台にした日本文学は数あれど、『敦煌』は正に不朽の名作。
その素晴らしい世界を今回は覗いてみましょう。


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◆科挙の落第生と漢人部隊の隊長

主人公趙行徳(ちょうぎょうとく)は🔗科挙に挑むも落第。
郷里にも帰れず途方にくれている中で、偶然に、🔗西夏([Xīxià])の娘を救います。

そして西夏文字を知り、この新興国家に強く惹かれ、西域へと向かいます。

ところが、彼のキャラバンは軍隊の襲撃を受け、若い行徳は兵員とされるべく拉致されてしまいます。
折しも西域では、その覇権をめぐって戦争中で、行徳は西夏の漢人部隊に組み込まれていきます。

落ちぶれたとは言え、元は科挙を目指したエリート、そんな才気溢れる行徳を、
部隊長の朱王礼は重用し、二人はいつしか深い友情を結んでいきます。


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◆ウイグルの王女をめぐる愛憎と悲劇

漢人部隊がウイグル王国のある城塞を攻略した際、行徳は逃げ遅れた王女をかくまい、そして愛します。

この重罪行為を知った部隊長王礼は行徳を守るため、彼を部隊から離し、留学生として西夏の都へ送ります。

憧れていた西夏の都で言葉や文化を学んだ行徳は、やがて三年という月日を経て遂に王礼と再会し、
また、恋しい王女にも再会するはずでした。

しかし、そこに待っていたのは西夏王🔗李元昊([LǐYuánhào])がもたらした悲劇―王女の死―でした。

その悲劇に接し、王礼はある決意を胸に秘めます。
彼もまた、行徳と同じく、その王女を愛したのでした。

そして、漢人部隊が要衝敦煌を占領したとき、王礼は万を期して、西夏王に対し反乱を起こします。

こうして趙行徳と朱王礼の愛憎をもはらみながら、敦煌の古文献へとつながる物語が綴られていくのです。


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◆井上靖は敦煌に行っていない!?

小説『敦煌』が執筆されたのは1950年代。
執筆に情熱を燃やす井上でしたが、如何せん当時は日中間の国交がなかった時代です。
現地考察などとてもできるものではありませんでした。

そこで井上は、敦煌学研究者として、特別に敦煌を訪れたことのある数少ない日本人である
藤枝晃氏から話を聞き出そうと考えます。

ところが、律儀な研究者である藤枝は作家嫌いで、なかなか会ってはくれません。

それでもなお毎日家まで通い続けた井上には閉口し、遂に協力することになりました。

この時、彼は井上に「作家はデタラメばかり書く」と詰め寄ったが、

井上は「作家には作家の真実がある」と応じたとか。

藤枝は、後に発表された小説『敦煌』を読んで、その井上の言葉を深く噛み締めたと言います。

さすがアンチの学者までも唸らせた名作ですね。

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