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11.112022
中国の「中山さん」の秘密?
皆様こんにちは!
2022年は日中国交正常化50周年ですが、では、その前はいうと、実は常に関係があったのです。
古くは奈良唐招提寺の鑑真大和尚が有名ですが、近代以降も実にたくさんの中国人が日本とかかわっています。
中でも今回は超有名人な「中山さん」のお話です。
● やたらと登場する「中山さん」は中国革命の父!
中国広東省にある「中山市」をご存知の方も多いでしょう。
また、南京市には「中山陵」というある偉人の陵墓があります。
「中山」と書いてあれば、日本語では「なかやま」ですが、中国風に読むと「ちゅうざん」となり、これこそが、中国初の共和制国家「中華民国」の初代総統である、「孫文」の号(ニックネームみたいなもの)なのですね。
そのため、孫文は中国で「孫中山」とも呼ばれ、清王朝を倒した革命の父とされています。
そんな大変な偉人ですので、陵墓が作られたり、市の名前になったりしているわけですね。
日本で有名な「人民服」も、孫文が愛用していたことで、中国では「中山服」と呼ばれています。
さて、これらの呼称の元になった「中山」ですが、ほとんど人は中国にあった何かが由来と思っていますが、ところがどっこい、なんと由来はある日本人の名字なのですね。
幾度もの革命活動を率い、清王朝から命を狙われた孫文、日本に亡命していた時に、とある「中山さん」と交流を持ち、その名をいたく気に入って、自分の号にしたというわけです。
世界史に名を残した偉人が日本人の名を使っていたとは。
でも実はこの時代、日本とかかわった偉人は結構いるのです。
● 日中国交正常化に尽くした周恩来
その中には、日中国交正常化に尽力した周恩来もいます。
周恩来は長年毛沢東に次ぐNo.2として政権を運営し、1972年に当時の田中角栄首相と固い握手を交わした人物です。
外交交渉などで渡り合った世界中の首脳や外交官から、「最も傑出した政治家」と絶賛されてきた彼は、実は若き日に日本で留学し、近代国家について学んでいました。
その日本の社会制度や政治体制をよく知る彼だからこそ、日本との国交回復の必要性を強く認識し、戦争の記憶がまだ深く残る中国大陸のあちこちで、日中国交回復の重要性を情熱的に説いて回ったのですね。