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中国語上達の五つのコツ
中国語を習う以上、「上手くなりたくない」と思って習う人はいないでしょう。そう、みんな「上手くなりたい」のです。しかし、現実は厳しいもので、中国語学習者の8割以上は話せないと言われています。それはなぜなのでしょう?
その疑問に、李校長が五つのアドバイスでお答え致します。語学学習は一朝一夕ではできないため、継続がとても大事になります。授業を継続することはもちろんですが、生活の中でも中国語に接する時間を組み込んでいくといいでしょう。そして、中国語と接する時には、これらのアドバイスをぜひ実践してみて下さい。
これまで4000名近い学習者と接してきた経験は、きっと皆様のお役に立つことでしょう。
目次
1.声に出して朗読する
2.単語ではなく文で話す
3.「知る」に止まらず「慣れる」
4.「天才」の真似はしない
5.母語と同じ表現を求めない
6.最後に
1 声に出して朗読する
当然の事ですが、言葉は声として発せられます。これに一番理想的な練習は「朗読」することです。
朗読とは「声に出して読むこと」です。多くの人は見て意味を理解するだけで満足しがちですが、声に出せなければ現実的に使えません。声に出す為の直接的な練習が朗読であり、これを超える練習法はありません。必ず声に出して読むことが大事です。
教科書は授業で使うので必須ですが、それ以外にも物語や漫画など何でも構いません。とにかく声に出して読む習慣をつけて下さい。(これが当学院の理念である「音字合一」にもつながるのです)
2 単語ではなく文で話す
我々はついつい単語だけに頼った表現をしてしまいがちです。コミュニケーションとして行う会話はそれでもいいですが、レベルアップを目指す練習として行う会話では、必ず文単位で言う習慣をつけていきましょう。これはそのあとの文法的発展にとっての基礎になりますので、大変重要なことです。
いわゆる「本場の表現」や「ネイティブっぽい言い方」を真似て、省略形やスラング的な言い方がよくネットにもありますが、これらは後で幾らでも付け足せます。基礎となる「ちゃんとした型」を作るのが、最終的には最も速くレベルアップします。
3 「知る」に止まらず「慣れる」
「知る」と言うのは我々の好奇心から来ており、一種の本能的欲求ですので、とても強い衝動です。但し、それは「知る」ところまでしかカバーしていません。「これはどういう意味か」「どこで使うか」「この表現は相手に喜ばれるか、或いは失礼か」等々、こういった知的探求の本能はとても素晴らしいのですが、残念ながら、この「知的探求の欲求」はそのあとの「慣れる」ための役には立ちません。しかし、慣れなければ絶対に使えないのです。
「知る」のは本能的欲求によりますが、「慣れる」ためには継続的な練習が必要で、これは意志の力によらなければなりません。知ったら満足した、で終わらず、継続的な練習を大事にしていきましょう。
4「天才」の真似はしない
私は過去4000名以上の学習者と向き合った経験から、数%の「語学的天才」が存在することに気づきました。彼らは幼児が言語を学ぶのと同じ方法で学ぶことができ、さらに理解力や記憶力に優れている場合は、驚異的な速度で外国語を習得することができます。( ※幼児の語学習得に関してのご参照ページはこちら)
このような人の中には、自分の「習得メソッド」をさも新発見であるかのようにネット等で公開している場合もあります。しかし、これには注意が必要です。なぜなら、彼らは「自分が天才」であるとは知らず、またそれを見た人の大半も「自分が天才ではない」とは知らないため、学習者はネットに溢れる様々な「メソッド」の間で大いに振り回されてしまうのです。
極端に言えば、「天才」はどんな方法でも上達します。しかし、一般の人がそれに振り回されてしまうと、かえって自分の努力と時間を無駄に費やしてしまいます。語学習得に「安易な王道」はありません。コツコツとした日々の積み重ねこそが一番「王道」に近いのです。
5 母語と同じ表現を求めない
皆さんは日本語のスペシャリストです。しかし、それはその他の言語のスペシャリストではない、ということも意味します。母語のフィールドでできていたのと全く同じパフォーマンスを他の言語のフィールドでもできるとは限りません。
これはちょうど野球の名手がサッカーに転向するようなものです。サッカーでも名手になれるかどうかは分かりませんが、普通にプレーを楽しむことは十分可能です。でも、もしサッカーフィールドに野球のバットを持って参加したらどうでしょうか?サッカーの名手になれるどころか、楽しむことすらできないでしょう。外国語学習ではこのような心構えが大事です。母語と比較した完璧さを求めすぎると、却って上達を阻害してしまいますし、その言語の楽しさを感じる事も出来なくなります。
特に表現方法では注意が必要です。外国語学習はフィールドもルールも異なるスポーツをするようなものです。野球では当たり前だったパフォーマンスが、サッカーではあり得ないことになるのと同じように、一つの言語ではありきたりの表現が、他の言語ではピッタリ該当する表現がない、ということは多々発生します。
そもそも構造も表現方法も異なりますので、母語に固執してしまうことは新しい言語体系の形成を妨げます。また、何よりも、完璧な表現ができる言語はありませんので、母語のニュアンスをそのまま伝えることが困難なこともあります。そこは「新しいフィールドと新しいルールだ」と割り切って、その中でできることを増やしていく方が遥かに効率的なのです。
最後に
いかがでしたか?あまりにも当たり前と言えば当たり前です。しかし、「当たり前なこと」ほど、我々はそれを脳裏のすみに追いやってしまうことも多々あります。それを修正しながら導いてくれるのが、講師の大事な役割なのではないでしょうか。しかし、実は当の講師も「当たり前の罠」に陥ってしまうことが往々にしてあります。実用中国語学院では、講師たちにいつも何が大事な事なのかをしっかり教えています。文法や単語の意味を教えられるのは当然ですが、学習者を上達させるために必要なことをしっかり実践できること、これこそが実用中国語学院の本当の価値なのです。