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なぜキッズ中国語なのか?
なぜキッズ中国語なのか?李校長が答えます!
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10代で急速に衰える音声識別能力
問:語学学習には7歳頃までが最も適しているとのことですが、それはどうしてでしょうか?
李:幼児の言語習得を研究しているパトリシア・クール博士の実験に基づいたデータによれば、言語を習得する際に必要な音を識別する能力というのは、 赤ん坊が一番優れていて、世界中のあらゆる母音と子音を識別することができるということです。その能力というのは成長とともに衰えていってしまうのですが、7歳ぐらいまではほぼ幼児と変わらないぐらい保持して いるということがわかっています。ですので、言葉・言語として習得するのに7歳頃までが最適であるということが言えます。こういった能力というのは、10代後半になると急速に衰えていきます。「詳細はこちら」20歳頃までそのような能力を持っていると思っていらっしゃる方が多いと思いますが、実は15、6歳頃になるともう大人と一緒で、基本的に能力は下がりきっているのです 。
問:では、何歳頃から学習を始めるのが理想的でしょうか?
李:非常に面白いのが、博士の論文によると、生まれてから数週間という時点でもう既 に赤ん坊の頭は音に対して分析を開始するということ です。つまり、外国語の言語として認識するしない以前に、もう自分の周りの音が何であるかということを認識しようとする能力は既に始まっているわけなんですね。まず我々が先に考えなければいけないことは、幼児が言葉を習うということは大人が習うものとは性質 が違うということです。子供はあくまでも、ネイティブ言語を習得する力をここで 使ってその言語を習得するわけです。つまり、その子供にとっては外国語かネイティブ言語であるかは問題ではなく、その音が自分に必要な言語として認識するかどうかという作業を生まれてからすぐ始めているのです。
日本人が語学学習で不利な理由
問:よく、子供は“耳がいい”“耳が柔らかい”と言いますが、これはどういうことでしょうか?
李:音に対する敏感さですね。 とかく、子供は記憶力や理解力が高いのではないか、というように、外国語を学校の勉強的な感覚でとらえてしまう大人が多いです。確かにその一面もありますが、言葉の学習 というものにはそれよりもはるかに強い要素があります。 それは、音で聞き取れないと非常に困難なハンデを背負ってしまうという一面です。ですから 、子供は決して理解力が高いわけではないし、むしろ大人よりも絶対に低いと思います。それに記憶力も別に子供だから といって良いと今まで感じたことはないですね。 ただ、これは自分自身の経験もあって思うことですが、恐らく音に対する敏感性の部分で大人は子供に敵わないのです。ですから、外国語学習において、子供は自分が発音できない音でも聞き分けることができますが、大人は自分が発音できない音は聞き分けることができません。そのため、大人は自分が発音できる範囲を超えた場合、音の違いを識別できないという現象が起きるわけです。日本語は発音の種類が少ない言語ですので、日本人は大きな不利を強いられるのです。その点、子供は自分がたとえ今の時点では発音できないとしてもそれを聞き分けることができます。聞き分けることができるという事は、真似をするのも容易になるということです。ですから、耳がいい・柔らかいというのは、そういうところを指した表現だと言えます。
DVD教材の欠点
問:最近流行っている、かけ流しCDやDVDなどの自宅用教材を使用しての学習では効果はないのでしょうか?
李:パトリシア・クール博士は、遊びながら行うような全く同じ内容の学習を「生身の人間と行う場合」「ビデオを使った映像と音声で行う場合」「音声のみで行う場合」の3つに分け、1歳未満から2歳ぐらいの子供で実験しました。大方の人は恐らく、生身の人間との学習が当然一番効果が大きく、その次に効果があるのが映像と音で行う学習で、音だけの学習では効果はないのではないかと予想すると思います。ところが、この実験で予想に大きく反したのが、「映像と音の場合」も「音のみ」と同じぐらい効果がなかったということです。映像があれば子供は勝手に理解するのではないかと思われがちですが、コミュニケーションというのはやはり人間にとって非常に大事なものですから、子供もそれを本能的に理解して、コミュニケーションをとる中で何が一番大切なのか?ということを本能的に見分けようとする。つまり、子供はその人とコミュニケーションがとれていると意識できて初めてその音がコミュニケーションに必要な音であると認識するわけです。ですから、映像と音だけのものを観ても、これはコミュニケーションをとってくれる相手ではないというのが本能的に分かるので、子供は無視をするわけです。テレビなどを観て内容が面白いと思うのはもっと大きくなってからのことです。小さな子供にとっては、コミュニケーションをとるかどうかということが、言語としてそれを認識するかどうかの大きな分かれ道なんだと思います。だから、そういう意味では学習の相手が生身の人間であるということは絶対に欠かせない要素です。
問:まだ母語も話せないうちから、中国語を勉強し始めて大丈夫でしょうか?幼少期から中国語を学ぶことで、日本語への影響はないのでしょうか?
李:外国語を身に付けることで、母語の理解に影響を及ぼすことはないと思います。まず、自分の基本となる思想体系、その人にとって何が一番中心なのかというネイティブ言語は必ず出てくると思います。日本で暮らしていれば、当然中心となる言語は日本語になると思うので、それはそれでしっかりと勉強しておいて国語力を伸ばすべきです。また、母語の語学力と第二言語を話すことの間には何ら反作用的な相互関係は確認されていません。もし外国語の学習が母語に悪影響を及ぼすことがあるなら、1つの国の中に3つも4つも公用語があり、生まれながらにして多言語の世界で生活しているような国の子供たちの思想は混乱してしまうことになります。私は今までそんな例を見聞きしたことがありません。
子供の言語に影響を与えるもの
李:子供の言語形成に大きな影響を与える可能性のあるものとしては、ある日本の言語学者の追跡調査で非常に興味深い事が分かっています。単一言語の国にいる子供が他の単一言語の国に引っ越しをした場合、ほぼ間違いなくその子供は前の言葉を忘れるという現象がおきます。これは、日本人がアメリカへ行こうがアメリカ人が日本へ行こうが同じです。ところが不思議なことに、行き先がヨーロッパなどのように2つも3つも公用語がある国になると、自分がかつて話していた母語をほとんど忘れないのです。この言語学者が言うには、これは何かの物理的な影響ではなく、心理的な影響であるとのことです。つまり、記憶力がどうとか、片方の文語体系がもう片方の文語体系に悪い影響を及ぼすとかそういうものではなく、心理的作用として言葉を忘れる、もしくは言葉に混乱をきたすのです。その心理的作用とは、子供の帰属意識です。子供というのは大人よりもはるかに帰属意識が強く、常に周りを見て誰が自分の味方か誰が自分の仲間かというのを意識しています。例えば日本の子供がアメリカに行った場合、家から一歩も出ないような子供を除けば基本的に外で遊ぶわけです。そうすると、外で遊ぶ子供たちはみんな英語をしゃべっているので、自分が所属する集団はこちらにあるんだということを徐々に考えるようになり、当然そちらの世界が広がります。そうなると、心理的作用としてかつてあった日本語の部分を否定し、忘れようとする。つまりは、脳の構造として忘れてしまうのではなく、帰属意識によって忘れようとするんですね。これは、アメリカ人が日本に来た場合にも同じ現象が起こります。子供というのはそういう意識が非常に強いわけです。ところがヨーロッパの幾つかの国のように、最初から周りにいろんな言葉をしゃべっている人がいるようなところでは、子供は「自分は日本語を忘れなくてもいいんだ!」と安心します。いろいろな民族があって、その国の中に幾つも公用語があるような所、例えば、学校ではフランス語、別の所ではドイツ語、家族は日本語で話しているような環境では、自分は家では日本語を話していいんだという安心感が生まれます。それによって子供は日本語を忘れないというのが、その言語学者の追跡調査からわかったことなのです。
経験に基づく確信
李:これを読んだ時、私自身の記憶や経験と非常にシンクロして、「まさにこれだ!」と思いました。私は8歳の時に日本に来て、その時「こんにちは」「いただきます」「さようなら」この3つだけを覚えてきました。「いただきます」はみんなちゃんと言っていましたが、「こんにちは」と「さようなら」は言っても誰も相手にしてくれず、「おっす!」や「ばいばい」を使ったりするので、当時はウソを教えられたんだと思っていました(笑)。でも来日当時は本当にこれぐらいしか話せなかったんです。男の子ですからいろいろ喧嘩したりすることもありましたが、でもすぐに日本語を覚えました。それと同時に中国語はすぐに忘れました。この事をずっと自分の中で、やっぱり使わないから忘れたんだ、馬鹿だから忘れたのかな?といろいろ考えていたわけです。で、この学者の本を読んで、「はっ」と気付いたんですね。自分が中国語を忘れたのは、日本語を話す周りの友達への帰属意識によるものであり、それによって「自分は中国語をしゃべってはいけないんだ!」という意識が芽生えたからだと気付きました。この視点でいろいろ見てみると、周りに住んでいる日本在住の中国人たちの話の中でも、「子供がなかなか中国語を覚えない。」「一生懸命覚えさせようとしているがなかなか覚えない。」など似たようなことがあります。そのことを「うちの子はバカなんじゃないか?」と言う人もいるのですが、決してそういうことではなく、「自分は日本人の中で暮らしている」という意識が心理作用としてそうさせるのです。例えば、みんながいるところで親と中国語でしゃべるということに、大人だったら何も気にしないですが、子供というのはものすごく恥ずかしさを持ち、それを避けようとする心理が言葉を忘れさせようとするのです。もし、子供のうちに言語を習うということのマイナス面があるとすれば、多分こういう心理作用が挙げられると思いますが、それによって国語力が落ちるというのはあり得ないと思います。もしそうであるなら、いくつも言語を持っているような人はみな頭が混乱してしまいますからね。
ネイティブ言語ということに関連して、前述のクール博士の実験でも面白いことが研究されています。大方の人は「ネイティブ言語」と聞くと、どれかの「一つの言語」だと考えがちですが、例えば父親がスペイン語で、母親が英語でしゃべるのを同じぐらいの頻度で聞いて成長した子供は、両方をネイティブ言語として認識していくというわけです。当然これが日本語と英語でも、どちらも「ネイティブ」になることができます。博士の実験からも示されているように、人間、特に幼少の子供の言語に対する適応力というのは、大人たちが感覚的に捉えられる範疇をはるかに超えているわけです。なので、私は「幼少期から中国語を学ぶことで母語に影響がでる」というのは間違っていると思いますし、これを学んだからもう片方が悪くなったということは絶対にないと思います。もし母語に問題があるなら、それは元々の国語力の勉強が足りない問題だと思います。日本語は日本語でしっかり勉強しておくべきであって、別に外国語を習ったから日本語がだめになったということには何の根拠もないことです。
子供はすぐに忘れるから、勉強しても無意味?
問:語学学習は幼少期に始めても、大人になるまで継続しなければ意味がないのでしょうか?
李:中国語でも「望子成龙」という、子供が龍になるように望むという言葉がありますが、日本でも親御さんはよくこれと同じように考えます。英語にしても中国語にしても、小さい時からやっておけばどんどんうまくなって、小学校へ入るころには英語がペラペラになるのではないか等とどうしても想像してしまいがちですが、それは間違いだと思います。先ほども言ったように、子供というのは帰属意識や心理的作用による影響が大きいので、仮に英語や中国語が話せても、心理的にしゃべらないといことがあるわけですね。大人のように目的意識を強く持っていないので、無理強いをしてしまうと却って圧迫感を与えすぎてしまうことになります。むしろ、子供にとっての外国語学習というのは、単語をどれだけ覚えたとか文法をどれだけ理解したとかではなく、音に対する敏感性が大事なのです。日本人がなぜ外国語を勉強するのに不利なのか?それは、日本語の発音が余りにも少なすぎるので、いろんな音を聞き分けるときに判別できないという問題が非常に大きいと思います。ですから、音に対する敏感性を幼少期に訓練しておくことは絶対に無駄にはなりません。例えば、高校生や大学生になってそれをもう一度始める時に、全く今までやってこなかった人よりもはるかに高い順応性を持ちます。
語学学習の「天賦の才」とは?
李:これは、私自身の経験からもそう言えます。かつて私も日本に来た時、非常に速く日本語を覚えたかわりに中国語もすぐ忘れてしまいました。あれが食べたいとかこれが欲しいだとか、この程度以外の言葉は本当にすぐ忘れてしまいました。それこそ、ちょっと複雑な心情を表すこともできない。なので、最初に中国留学をした時は日本人留学生として行きました。その時はかなり無理をして高いレベルのクラスに入れてもらったので、周りが何を言っているのか全くわかりませんでした。ところが、他の人にはない私の特性は、音を完璧に聞き分けられるということで、単語や言い方は忘れていても音は忘れていなかったのです。つまり、音を完璧に聞き分けることができたので、あとはその音がどんな意味に当てはまるのかということを理解しさえすれば、どんどん面白いように伸びていくわけです。たまに、語学を習う時「この人速いな、この人すごいな」と思わせる、いわゆる語学学習の「天賦の才」というのは、間違いなくこの才能です。
「天賦の才」は作り出せる
李:幼少期に全く外国語に接していなくても、子供の優秀な音声識別能力を高いレベルで保持して成人する人が必ず何%かはいるのです。そのような人がたまたま努力家であったり、或いは記憶力が良かったりすると、周りが非常に驚くような語学習得力を発揮するわけですね。その大きな要となるのが、音を聞き分けられるか?ということです。これがないと言葉というのは非常に困難です。もちろん駄目なわけではないですし、克服もできますが、非常に大きな労力を払う必要があります。それを小さい時から訓練していくと、子供はこれをコミュニケーションにとって必要な音であると認識し、その音を聞き分けるための能力を維持しようとしていくわけです。ですから、子供にとって単語を覚えているかどうかはあまり関係がなく、それよりは、先生とある音を介してコミュニケーションをとれたという経験が脳を刺激し、その音を識別する能力を残していくのです。なので、私が親御さんに理解をしてもらいたいのは、絶対音感を養うというぐらいのつもりで学習させるということです。例えば、5歳以下で楽器を始めれば絶対音感が身に付くなどとよく言われますが、5歳以下で始めなくても特殊的にそれを識別できる能力の人というのは必ずいるので、そういう人は別に何歳から始めても大丈夫なわけです。ですが、一般の人はそういう能力が衰えていってしまうわけです。これは言語の習得と同じ理屈だと思います。ところがそれを意識的に残すこともできるのです。それがこの幼児語学教育の最大の意義です。
なぜ中国語を学ぶのか?
問:では、近年の国際化によってグローバルな人材が求められ、外国語学習の必要性がこれからもますます高まると思うのですが、その中でもなぜ中国語なのでしょうか?
李:一つには、中国語を話す人口が一番多いということです。単に人数が多いだけではなく、中国以外にも中国語の文化圏、例えば台湾や香港やマレーシアなど世界中に広がる華僑のネットワークを持つ人たちの経済力というのが過去にないほど高まっています。経済学者も今後もっと膨らんでいくと予測しています。つまり世界で何らかのビジネスをしようと思えば、かなり高い確率で中国語に出くわす可能性がある。ということです。英語は当然どこへ行っても文句なしに世界共通語です。これは今後数十年で揺らぐということはまずあり得ないと思います。ただ、中国語圏の経済力が高まっていく中で、英語だけでなく中国語も習う必要があるという場面に出くわすことがどんどん出てくると思います。その経済的な影響を無視していくことは多分できないと思います。その時になってやはり中国語が必要だと言って、大きくなって始めるのでは、本当に何年もかかってしまいます。それだったら小さいうちにしておいて、大きくなった時に少しでも勉強しやすくしておくのがいいのではないでしょうか。まず、世界のどこかへ出ていくときに、中国人に出くわさないという地域は多分これからはあまりないのではないかなと思います。世界中どこに行っても中国人がいます。それこそアフリカであっても中国人はいますし、しかも華僑のネットワークで強い経済力を持っています。今東南アジアもどんどん発展していますが、そこで働いている日本の方たちの話を伺うと、やはり現地で非常に力を持っているのは華僑の人たちなんですね。その人たちと話をするにはやはり中国語が結構必要なんです。英語のようにグローバルな世界共通語にはならないと思いますが、アジア地域では非常に重要な言語であることは間違いないでしょう。幼児教育で中国語を勧めるもう一つの理由は、中国語が非常に発音の難しい言語の一つであるからです。
中国語の発音の多様性は、英語学習にも有利
李:アメリカの大学に、正義とは何か?ということを学生と討論形式で話をして、それが非常に面白くて有名になったマイケル・サンデル博士という人がいます。彼が世界各地のトップの大学でこの講義を行った「白熱教室-世界の人たちと正義の話をしよう」という番組を観ましたが、非常に驚いたのが、北京大学での討論です。東京大学やソウル大学でも流暢に英語を話す人は何人もいましたが、北京大学で行った時は、一人だけが中国語で話し、他の人は全て英語で討論に参加したのです。頭の良し悪しでいうなら東京大学もソウル大学も国を代表する超一流大学ですので、これは頭の良し悪しに関係した事ではなく、中国語の発音が持っている優位性の結果だと思います。例えば、中国語には1600個以上の発音があります。日本語が50音ということから考えると、30倍以上あるわけです。このように、中国語には音に対する多様性があるので、後々英語をするにせよ何をするにせよ、必ず優位に立っていけるはずです。その観点からお子さんに中国語を学ばせるのもいいですし、将来の経済的成功の担保の一つとして始めてもいいと思います。いずれにせよ、子供の多様性の一つとして中国語を学んでおけば、その子供が大きくなった時非常に有利に作用することは間違いないです。
親の「下手な発音」を聞かせても訛らない?
問:中国語教室に通わせる以外に、自宅でも中国語に触れる機会を増やしてあげたいと考える親御さんも多いと思うのですが、あまり上手くない自分の中国語で話しかけても問題ないのでしょうか?
李:子供というのは適応力が非常に高いので、もし親が非常に強い訛りの方言を話した場合、子供がその訛りの影響を受ける確率は高いと思います。しかし、一方で標準的な音に接していくと、子供というのはこの両方から影響を受けるわけです。ですから、例え母親の発音があまり良くなくても、教室で講師が話す中国語の発音も必ず記憶していくのですね。そして、もう少し道理が分かるようになれば、どちらの音がより標準的なのかを自分で判断し、取捨選択できるようになります。なので、あまり心配せずにどんどん話しかけていいと思います。発音はちょっと違うけれど、どちらも似たような場面で使っているということで、そのまま受け入れると思います。今の60、70歳より上の世代の中国人というのは地域性や方言がものすごく強くて、標準語を話していても訛りがとてもきついですが、今の若者は方言性が弱くなり、どんどん標準化されてきています。例えば、父母は訛りがあるけれども、自分は標準語を学校で話したりテレビで観たりすることで、そちらの影響をより強く受けているということがあると思います。
子供にとって「上達」とは?
問:子供の中国語が身についてきているな、というのはどのようにして実感することができますか?
李:それはとても難しい質問ですね。子供にとって根本となる、一番大事なものはコミュニケーションです。その子供の能力の高低を点数で図ろうとするのは大人の見栄で、子供にとってはコミュニケーションがとれているかどうかが大事なことなのです。例えば、のどが渇いた時に「水が飲みたい(我要喝水)」ということが言える、「コップが欲しい(我要杯子)」といえばコップを取ってくれる、というようなコミュニケーションに注目して考えた方がいいと思います。覚えている単語の量がどうかということよりも、コミュニケーションを成り立たせてそれによってどんどん増やしていくということの方がいいと思います。中国語というのは発音が極めて多様であるため、子供に発音の多様性を残してあげることができます。私がアメリカ留学をした時も、英語の上達は非常に速かったですが、それはやはりそういう所もあったのかなと思います。ですから、中国語を勉強するということは、中国語だけでなく、英語を勉強したりする時にも大きく役に立つと思います。
問:中国語には1600個の発音があるとおっしゃっていましたが、これが関係しているのでしょうか?
李:何かの文献を読んだということではないので、あくまでも自分の経験上の意見になりますが、英語のかなり上手い中国人には結構出会いますね。博士も言っているように、小さいころから自分にとってどの音が必要なものなのかというのをよりたくさん残していくことは、後で言葉を獲得する時の幅をものすごく増やしていけることであるというのは間違いないと思います。
問:では、中国語に全く触れたことのない子供でも中国語のレッスンについていけるのでしょうか?
李:レッスンは、家族で受ける或いは何人かの同じぐらいの子供たちと一緒に受ける、もしくはプライベートで受けるなど、いくつかの形式が可能です。プライベートになれば、レッスンについていくも何もその子供の状況に合わせます。複数となった場合にも、ほとんどが中国語に触れたことがない子供たちでレッスンを受けることになると思います。仮に、中国語がよく話せる子供と一緒になったとしても、子供の学習というのはコミュニケーションや遊びの中で行われることが重要で、大人ほど何かを討論したりすることはないので、むしろ大人が習うよりも心配は少ないと思います。ただ、今まで受講いただいたクラスでは中国語が非常にできる子供というのはなく、みんなほぼゼロからスタートの子供たちばかりでしたので、レベルの差を心配しなくても良いでしょう。子供が中国語を習う上では、耳の許容範囲を増やしていくということの方が重要だと考えていますので、仮にすでに始まっているクラスでも、一緒にレッスンを受けていく中で、単語の知識の差はどんどんなくなっていくと思います。
キッズ中国語の意義
問:キッズ中国語に通うことによって、ネイティブのような中国語を身に付けることは可能でしょうか?
李:当然、大人がやるよりもずっと可能性は高いと思います。なかなか癖が抜け切れない大人が沢山いますが、今実際に何年か続けている子供の発音は非常に自然ですね。これは子供の強みだなと思いますね。ネイティブであるかどうかというのは、知識の問題ではないと思います。知識というのは後からいくらでも入ります。しかし、後になればなるほど困難になるのは、音を聞き分ける力の習得で、こちらの方が大事なんです。言語を習得するには大きく「理解力」「単語力」「音を聞きわける力」の3つの要素がありますが、みなさん最初の二つを重視しがちです。ですが、むしろ隠れて目立たない「音を聞き分ける力」というのが一番重要なことなのです。その部分を非常に強く、太く、がっちりと育てていけるのが、小さいうちから外国語を習う意義であり、キッズ中国語をする意義も正にそこにあるのです。